小林公夫の「愛(め)でたいモノたち」

作家で法学者である、ハカセ小林公夫が好きな服や、小物、本、好きなお店、料理など様々な好きなモノについて語るページです。

M君の思い出

f:id:kobayashi-kimio:20230519102648j:image(引用:広瀬川ホームページより)

 

個人情報保護法が施行されて受験生の個人的な合格に関する話などはブログに記すことが難しくなりました。そのため、私のオフィシャルサイト「博士のお仕事日記」もここのところ更新が遠のいております。しかし、今日は当たり障りない範囲で、今年、旧帝国大学医学部医学科に合格したM君の思い出をこの「愛でたいモノたち」のコーナーで、少しお話しします。先日、西新宿の医学部専門予備校に伺いました。その際、事務局の方から、M君の両親名が記された1通の手紙を頂戴しました。これは恐らくお父様の字でしょうね。「1年間、大変お世話になりました。」という文面から始まり、私の指導に対する感謝の言葉が3枚の便せんにわたり述べられていました。有難うございます。うれしかったのは、M君が、予備校での自習後、夜遅く帰宅し「今日は、ハカセ先生から温かい言葉をかけてもらった」と両親に告げていたことです。彼はクールな感じです。そういうタイプには見えなかった。知られざる一面です。嬉しそうな顔をされていたそうですね。その日、私が何を話したのかはわかりません。でも、私の言葉が君の心に届き勇気を与えたとしたら何よりです。昨年の秋、2学期が始まり、いつの頃か授業の始まる30分前に君は時々講義室に現れ、私と時間を共有するようになりました。しかし、何を話したのかはよく覚えていない。それは、医学の話とか医学部2次試験の質問を受けるのではなく、受験と人生のような雑談をしていたからです。いつも学習の方法論や、人生における学びの意義などを君は私に問いかけていました。今、思い起こすと、あの時の君は辛かったのかもしれない、心が揺らいでいたのかもしれない。しかし、話の終わりには、君の顔が和みほころんでいたこと、それはよく覚えています。受験前は顔が美白したように白くなり、頬がこけましたね。心配しましたが、医学部の1次合格は多かった。旧帝国大学医学部の受験対策も忙しく、君と会う機会は日増しに多くなって行った。慈恵に進んだMさんの次ぐらいに多かったのではないか。旧帝国大学医学部対策の際に再生医療の課題や、東北の地域医療論と共に紹介した「青葉城恋歌」の歌詞を覚えていますか。仙台のことを知らなければならないと紹介した歌です。勉強につかれたら、広瀬川のほとりにぜひ足を運んでみてください。勉強は大切です。でもそれ以上に大切なことも探してみてください。