衝撃を受けた茨木のり子さんの詩
茨木のり子さんの詩「私が一番きれいだったとき」に出会ったのは、今から45年ぐらい前だろうか。書店で詩集を立ち読みしていて偶然この詩を目にした。その場で衝撃を覚えた。私はなんだか頭をガツンとたたかれたような気分になり、自分の生き方を見直さねばならないと考えたのを覚えている。特に私の心に響いたフレーズは、
私が一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し皆発っていった
という箇所である。太平洋戦争時の話だ。特攻で飛び立つ若者の姿も描かれている。
2002年の頃、私の著書の中でどうしてもこの詩を紹介したいと考え、茨木のり子さんに連絡をした。出版社の担当者が幸い連絡先を探してくれたのだ。確か西東京市にお住まいで、電話連絡をした。憧れの詩人なので、緊張したが、「私が一番きれいだったとき」に対する思い入れやこれまでの経緯を語ると、茨木さんはひと口返事で、「いいわよ」と了解してくださった。なんだか力強く元気な方だった。
人間には様々なめぐりあわせがある。青春時代を戦争に奪われた茨木さんの人生もその一つだが、忘れてならないのは、その時同年代の多くの女性が同じ気持ちでいたということである。
現在は、コロナとの悪いめぐりあわせで、つらい思いをしている人が多いだろう。でも、前へ進んでほしい。何もかもうまくいくなどということはないが、何もかもがうまくいかないこともないのだから。これは私を含めて言えることだ。