小林公夫の「愛(め)でたいモノたち」

作家で法学者である、ハカセ小林公夫が好きな服や、小物、本、好きなお店、料理など様々な好きなモノについて語るページです。

38年前にタイムスリップ! 時をかける少女、原田知世さんの思い出

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38年前のことだ。当時雑誌編集者をしていた私は、どうしても原田知世さんのロングインタビュ―を実現したいと考えていた。そこで角川事務所に、まず電話をかけた。担当のチーフマネージャーは俵口さんという女性で珍しい名前だった。電話に出られた方に名字の表記を確認し、手紙を出した。少なくとも2回は出したと思う。取材の依頼は電話で済ませるのが通常だから、珍しい行動である。手紙には知世さんを何故取材したいのか、その理由を論理的かつ熱意を込めて書き記した。すると10日ほどして、反応があった。そこまでの熱意があるなら、取材の趣旨について1度話を聞いてもいいと返事が来たのである。2度とないプレゼンのチャンスだった。待ち合わせた角川ビル内のカフェで私は深々と頭を下げると、まず、自分が長年のフアンであることを告げ、熱弁をふるった。俵口さんは私の話に終始笑いながら聞きいっていた。面白がられているだけで、感触としてはNGだと感じられた。しかし、その場で、俵口さんから取材のお許しが出たのである。「天国に1番近い島」、「早春物語」などで猛烈にブレイクしていた知世さんの取材時間をスタイリング、メイク、撮影を含めて3時間出してもらうことは極めて異例だったと思う。

6ページ構成のインタビュ―は約1時間半にわたり、長崎での子供の頃の話や、家族との関わり、大学への進学に悩み、最終的に断念したのはどうしてかなどをたずねた。大学進学の話はアイドルとしては珍しく、学ぶことに固執した理由を聞いてみたかった。彼女はミーハーな感じではなかった。また、私自身もミーハーな取材はしない主義だった。
取材終了後、無理をお願いして一緒に写真におさまってもらった。彼女が持つノートのようなものは、私の取材フアイルである。取材時に、知世さんから、「その大きなフアイルは?」と尋ねられた。私が「これまでの知世さんの写真と記事を集めたものです」と答えると、「へえー、スゴイ」と目を丸くされた。興味深そうに眺められていたので、記念に差し上げたのである。
取材が、10月で、翌月の11月28日は彼女の誕生日だった。バースデー当日、番組収録場所であるフジテレビに、新宿伊勢丹で購入した大きなクマのぬいぐるみを抱きかかえて出向いた。道中、多くの人に奇異な目を投げかけられた。フジの現場は翌年の正月に放送されるスターかくし芸大会の収録、真最中だった。敷地内の離れに収録場所があり、入り口で俵口さんにお願いして知世さんを呼び出してもらった。俵口さんが「知世ちゃん、小林さんが来たよ」と呼び掛けると、知世さんはかくし芸用の着物で飛び出して来た。そして、ぬいぐるみを抱きしめると、「ワ―、キャー」と声を上げられた。叫び声があがるほど、クマのぬいぐるみはあまりに大きく可愛らしかったのである。