小林公夫の「愛(め)でたいモノたち」

作家で法学者である、ハカセ小林公夫が好きな服や、小物、本、好きなお店、料理など様々な好きなモノについて語るページです。

衝撃を受けた茨木のり子さんの詩

茨木のり子さんの詩「私が一番きれいだったとき」に出会ったのは、今から45年ぐらい前だろうか。書店で詩集を立ち読みしていて偶然この詩を目にした。その場で衝撃を覚えた。私はなんだか頭をガツンとたたかれたような気分になり、自分の生き方を見直さねばならないと考えたのを覚えている。特に私の心に響いたフレーズは、

 

私が一番きれいだったとき

だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった

男たちは挙手の礼しか知らなくて

きれいな眼差しだけを残し皆発っていった

 

という箇所である。太平洋戦争時の話だ。特攻で飛び立つ若者の姿も描かれている。

 

2002年の頃、私の著書の中でどうしてもこの詩を紹介したいと考え、茨木のり子さんに連絡をした。出版社の担当者が幸い連絡先を探してくれたのだ。確か西東京市にお住まいで、電話連絡をした。憧れの詩人なので、緊張したが、「私が一番きれいだったとき」に対する思い入れやこれまでの経緯を語ると、茨木さんはひと口返事で、「いいわよ」と了解してくださった。なんだか力強く元気な方だった。

 

人間には様々なめぐりあわせがある。青春時代を戦争に奪われた茨木さんの人生もその一つだが、忘れてならないのは、その時同年代の多くの女性が同じ気持ちでいたということである。

 

 

 

現在は、コロナとの悪いめぐりあわせで、つらい思いをしている人が多いだろう。でも、前へ進んでほしい。何もかもうまくいくなどということはないが、何もかもがうまくいかないこともないのだから。これは私を含めて言えることだ。

 

 

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旧電通本社ビル、懐かしい。よく電通詣でしたものだ。

丹下健三が設計した旧電通本社ビルの解体が開始されたようだ。マスコミ勤務時代に、広告企画の仕事で、よく出向いたものだ。1Fのエレベーター前はいつも人だかりである。懐かしい。残念だ。当時、私の会社があった千代田区神田駿河台からは築地の旧電通本社ビルは電車では行きにくく、幾人かの社員と乗り合わせて、いつもタクシーで出むいたものだ。マスコミ勤務時代はそもそも電車に乗った記憶がほとんどない。電通のみならずどこに行くにもすべてタクシーである。古き良き時代だ。

運転手に、「電通に行って下さい」と、ひとこと伝えるだけで、聞き返す運転手がいないぐらい有名なビルだった。マスコミに勤務する者たちは、放送局を始め新聞社、出販社の人間も、毎日、電通詣でをしていたように思う。築地に隣接する銀座には電通通りという通りもあり、この通り沿いには高級なお店が並んでいた。いつだったか、テレビ局の役員をしていた叔父に連れられて電通通り沿いのクラブで飲んだことがあった。そのとき、複数の身なりの良い人たちが来店してきた。たまたま、叔父の知り合いで名刺を頂戴したが、電通の社員の方たちだった。

当時はCEDという社章を付けていたと思う。COMMUNICATIONS,EXCELLENCE,DENTSUの略である。人相が違う人々のように思った記憶がある。f:id:kobayashi-kimio:20210505170607j:image

 

ホリプロの堀威夫会長宅で頂戴した焼き物です。猫に小判です。

インスタグラムで既に紹介したこの焼き物ですが、正直なところ、どういう価値のものか全くわかりません。箱の上面に何と書かれているのかも、よく読めません。もう30年以上前の話です。この焼き物はホリプロの会長堀威夫さん(当時)のご自宅を訪問した際に、お土産に頂戴したものです。私はその頃、出販社で女性誌の芸能担当デスクをしておりました。ある日、堀会長とその奥様と親しくされている松井さんという方が、突然、堀会長の家にご挨拶に行こうと誘って下さいました。場所はどこだったのかよく覚えていません。東横線沿線か、小田急線沿線で、JRの沿線ではなかったように記憶しています。駅を降りてから、住宅が密集した入り組んだ道をかなり歩きました。地図があっても分からないような複雑さです。意外だったのは木造の家だったことです。古いけれど由緒ある邸宅でした。平日の昼間にお邪魔したので、会長は不在でしたが、松井さんが「百合子さん、百合子さん」と親しげに奥様のことを呼ばれていたのを思い出します。

当日は、よく取材していた堀ちえみさんのことや和田アキ子さんの話などをいろいろお聞かせいただきました。息子さんが電通に勤務しているという話も聞いたように覚えています。エリートの家系は違うなと思いました。それにしてもこの松井さんという人物、芸能界の大物とパイプが太く驚かされました。大手芸能事務所の社長さんはほぼ存じ上げているという感じです。凄い人脈です。

 

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モンブラン 「フィッツジェラルド」の万年筆

ドイツのフランクフルトで購入した万年筆です。

モンブランの「フィッツジェラルド」という稀少な万年筆で、私のイニシャルも刻印されています。周りの素材があまりにデリケートな万年筆なので、普段は使いません。少々のことでも周りが傷ついてしまいます。この万年筆の名前はみなさんご存じですよね。「華麗なるギャッツビ―」の作者ですね。

日本で今これを売却すると、まあまの値段が付くようですが、大事に家宝として保管しています。それにしてもインクの入れ方が不思議で、苦労しています。インクビンにつけたまま補給するのです。オシャレではありますが、インクも銀座などのモンブランの専門店に買いに行かないと買えません。

 

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ピカピカに光る馬の革の鞄

数年前に購入した馬の革でできた鞄です。ひとことで言いますと不思議な鞄です。まず革がデリケートなのか、よく傷がつきます。しかし不思議なことに、布で少しこすると傷は目立たなくなります。その繰り返し。又、不思議なぐらい光沢があります。リッチモイスチャーという天燃のアルガンオイルが配合されたクリーム(発売はコロンブス)で磨くとピカピカになります。ただし自分の指で磨かねばなりません。布で磨くのはいけません。通はそのようなことはしません。これは購入した靴と鞄の専門店のご主人から指導されました。両手の指に少しだけクリームを取り鞄の表面を丁寧にこすります。するとピカピカに輝き始めます。今はこの鞄は私の手元にはなく、北海道にいる娘が使用しています。価値のある鞄を持つと良い研究ができるかなと思い、娘に送りました。

 

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とんねるずのサイン色紙。2人のサインはどっちがどっち?

インスタグラムに公開したとんねるずのサイン色紙は、30年以上前に彼らから頂戴したものです。

私はマスコミ勤務時代に、彼らの連載を担当していました。オールナイトフジで1番人気の頃のとんねるずの連載です。その後、彼らはオールナイト二ッポンも担当するようになりましたから、毎日猛烈なスケジュールです。連載とはいえ取材時間がなかなか取れない。そこで当時の所属事務所オフイスAtoZの社長さんが、「金沢に行くから、一緒についてくるか」と誘って下さいました。

その時に頂戴したのがこの色紙です。金沢では、コンサート終了後に取材を兼ねて寿司を食べましたが、夜9時ごろに2人は忽然と姿を消しました。驚いたのは、どうも朝まで眠らずどこかで過ごしていたようだということ。凄いパワーです。翌日はそのまま飛行機で東京に帰り、又猛烈なスケジュールが待っているわけですから、やはり普通の人にはまねのできない仕事ですね。超人という感じでした。

 

この日はとんねるずの事務所の社長以下スタッフ全員が参加する打ち上げでしたので、事前に金沢の高級寿司店を予約しました。幸い、当時、勤務する出版社の大先輩に、今野菊夫さんという金沢の高級店はどこでも顔パスのような偉大な人がおりました。その先輩に頼み込んで、事前に寿司店や高級クラブに電話をかけてもらいました。おかげで、寿司代を始め、その後に行った香林坊の高級クラブも値段がウソのように安かったのを覚えています。いや、すごい人はいるものです。先輩ごちそうさまでした。

あれ以来金沢の片町にはご縁がありません。身分不相応なので行けません。

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来年の医学部入試に狙われそう

f:id:kobayashi-kimio:20210412114713j:plain広瀬巌著「パンデミック倫理学」、なかなか面白い。3時間ほどで読み終えました。同時に並行して読みはじめた江戸川乱歩「三角館の恐怖」は全く進まず。頭が学術本の速読の脳になり、小説脳ではなくなってしまった。前者は、第3章の医療資源の分配の章が医学部の入試に出そうです。予備校の授業で取り上げます。本来は大学の生命倫理学の授業で取り上げるべき内容ですね。

この謎のサインは誰のものかな

先日、皆さんに出題したクイズの答えです。

この色紙に書かれているのは誰のサインでしょうか、という問題でしたが、解答を発表します。

ヒントは松田聖子さんでした。皆さん、お分かりになりましたか。

答えは「神田正輝」さんです。どこをどう読めば神田正輝と読めるのか不思議ですが、30年ぐらい前に、女性誌を編集していた頃に神田さんから頂戴しました。巻頭の6Pでインタビューをした時ですね。私が勤務する神田駿河台の出版社にマネージャーと神田さんが来られて、取材と撮影をしました。男性タレントのマネージャーは普通は女性が多いのですが、何故か石原プロは男性のマネージャーでしたね。私の記憶ではかなり珍しいことです。懐かしい思い出です。

誰のサインでしょう~第2ヒント(小林公夫)

昨日、クイズとして出した有名人のサインですが、知人から分からない、分からないというつぶやきが届きました。ヒントは松田聖子さんということでかなりストレートなヒントなのですが、余計に分からなくなってしまったようです。

 明日のこのページに回答を載せますが、今日は第2ヒントです。この方も、当時スゴイ人気の俳優さんで、その昔私が雑誌の巻頭6Pで取材をしたことがあります。私は連載をしていた尾崎豊さん、吉川晃司さん、藤井フミヤさんからはサインを頂戴していません。今考えるとなんと馬鹿なことをしたのかと考えますが、当時は連載中でいつも会っているという感じですから、あえてサインを頂戴するという雰囲気になく、その有難みにも気付きませんでした。

 

小林公夫

誰のサインでしょう(小林公夫)

前回は松田聖子さんの貴重なサインをご紹介しましたが、今回はこのサインです。一体、誰のサインでしょうか。ヒントは、松田聖子さんです。難しいヒントですね。

分かりましたか。分からないですね。まず、このサインは本当に何と書いてあるのか読めません。
私は未だに読めません。答えは次回土曜日のはてなブログで公開します。宜しく。皆さん、ヒントを参考に少しの間考えてみてください。

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小林公夫

松田聖子さんから頂戴した色紙(小林公夫)

今回紹介する色紙は、大変価値のあるものです。この色紙は神田正輝さんと結婚されて、一時芸能界を引退した松田聖子さんから頂戴したものです。この色紙のどこがすごいかというと、引退されてマスコミとの接触を一切絶たれた松田聖子さんから、初めてマスコミ人が頂戴した色紙だからです。女性誌の創刊記念に、私は「幸福」と書かれたこの色紙をお守りとして付録にする企画を立てました。でも交渉は難航しました。それはそのはずです。聖子さんは既に引退された身だからです。そこで、当時、弟子のように私を可愛がってくれていたオリコン小池聰行社長に泣きつきました。すると社長は、「分かった」とひとこと言うと、数日後、サンミュージックの相澤社長のもとに一緒に同行して、相澤社長に頼み込んでくれました。小池社長の力は凄いもので、その場でOKの返事をもらいました。

今度お宝鑑定団でこの色紙がどのぐらいの価値があるのかを聞いてみたいものです。販売はしません。何故ならお宝だからです。でも、実際どのぐらいの価値があるのかは知りたいです。

小林公夫 松田聖子さんの色紙


小林公夫

心臓外科医の須磨久善先生の言葉(小林公夫)

「命と命はつながっている」という、この言葉は、色紙に書かれているように、心臓外科医の須磨久善先生の言葉です。手術名の認知度がドラマで先行してしまい、あと付けになってしまいましたが、須磨先生と言えばバチスタ手術の日本での先駆者です。日本で第1例目を施行されました。

この色紙を頂戴したのは、私が一橋大学で研究を始めて数年した頃ですので、すでに20年も前のことです。私は研究の当初、実験的治療行為を研究テーマにしており、神奈川県の葉山ハートセンターに話を伺いにお尋ねしました。1日に何例も心臓手術をされるという多忙な中で、大学院で研究中のただの学生に真剣に向き合ってくださいました。申し訳ないことに、通常ならば昼食を取る貴重な1時間を私に割いてくださったのです。

ブラジルのバチスタが始めたこの心臓縮小手術は、当初は猫を使い手術のレーゲアルティス(lege-artis)を検証したようです。所謂、動物実験です。バチスタ手術の詳しい研究内容は、私の著書「治療行為の正当化原理」(日本評論社刊)557頁から566頁に書かれています。第5章第6節の極限的治験水準に関する頁ですね。興味のある方はご覧ください。

 

小林公夫 心臓外科医の須磨久善先生の色紙

 

小林公夫

岩崎宏美さんから頂戴したサイン色紙(小林公夫)

このサイン色紙は、36年前に岩崎宏美さんから頂戴したものです。その年の秋に岩崎さんは「月光」というシングル盤を発売しましたが、曲のPRを兼ねて取材した際に、頂戴したものです。2人で映るこの写真はその時の様子です。場所は日比谷公園。石川正勝さんが撮影。


身長181cm以上でこの時分は体重が60キロで痩せていましたね。着ている黒のジャケットはイタリアの高級ブランドの広報室の女性からもらいました。「小林君は背が高くて肩幅があるから、モデルが着ていたこの上着、着れるよね。あげるよ、着て帰る?」と頂戴しました。当時は、こんな感じで洋服でも、靴でも何度か、モデル着用後の品を頂戴しました。マスコミ人が重宝されていた時代ですね。

 

小松公夫 岩崎宏美さんからのサイン色紙

小林公夫 岩崎宏美さんのサイン色紙

小林公夫 岩崎宏美さん

小林公夫 岩崎宏美さん

小林公夫

26年前にドイツで購入した鞄(小林公夫)

写真は、およそ26年前にドイツのライプチヒに研究で滞在した際にライプチヒ駅前の商店で購入した鞄です。

店主によれば、日常、医師が使用する鞄のようです。本がたくさん入り、牛革で非常に丈夫そうなので購入しました。
金額は2500€(ユーロ)です。当時は、1€が約118円でしたので、高額です。

そこで、店主に、
「Bitte senken Sie den Preis dieser Tasche ein wenig」と頼みましたが、

答えは「Nein、der Preis  fur diese Tasche sinkt nicht」でした。

つまり、値段はまけられないということでした。

私はしばらくショーウインドウを見つめて考え込みました。しかし、この牛革の色と質感に魅かれどうしても欲しくなり、カードで購入してしまいました。

 

あれから26年が経過しましたが、まだこの鞄は健在です。ただし、その間に5回修理に出しています。金属部分を3回、牛革の部分を2回修理しています。金属は同じ形の金属が無いため、町工場のおじさんに特別に金属を作製してもらいました。そのようなわけで、なんと修理代だけですでに購入金額を遙かに超えてしまいました。ただ日本に未入荷の鞄であり、またこれまで見たこともない構造の鞄なので、直し続けるほかありません。

先日も、栃木に滞在中に宇都宮市のリペアショップという良心的な店で、金属部分を修正してもらい小さな革のベルトを真ん中に追加でつけてもらいました。これまでに電車内で3人の方から、この鞄はどちらで購入されましたか、と聞かれました。普通このようなことは他人に聞いてこないですよね。開閉部分の金属が特殊で、尋ねたくなるぐらい珍しい鞄のようです。

小林公夫 鞄

 小林公夫

OLDCROWのジャケットをこげ茶色に染め直してみました(小林公夫)

別にバイクに乗るわけではないのですが、冬の寒い時期はOLDCROWのジャケットを着て過ごしています。栃木、宮城、北海道で過ごすこともありますので、その場合はこのOLD Bジャケットを着ます。宮城県大崎市(旧古川市)にあるWOLF PACKで購入しました。購入後間もない写真がこの写真です。「ビートたけし写真集」で著名な写真家の安井進さんに撮影していただきました。

ジャケットだけの写真は、その後、革の色を染め直した後の写真です。シープ部分をこげ茶色に染めました。牛革の部分はうまく染まらないということでそのままです。プロの職人に頼みましたが、染めるのに8か月かかりました。なかなか手がかかります。でも、よい風合いです。ただ、サイズが問題です。日本で販売されている中では最大のXLを着ているのですが、身長が181cmの私には少々小さいです。外国のサイズで7か8ぐらいでないとダメなのかな。しかし、この大きさはなかなか手に入りません。

小林公夫


小林公夫ジャケット

 

小林公夫のOLDCROW

 

小林公夫